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掲載日:2010年04月19日|咸臨丸サンフランシスコ来航150周年記念|投稿元:のびる会・サイト管理者

下記の文章は 在サンフランシスコ日本国総領事館のサイト から転載しています。


咸臨丸SF来航150周年記念
本年は、時の徳川幕府の軍艦である「咸臨丸」が、日本の艦船として1860年に太平洋を横断し、ここサンフランシスコに初めて到着して以来150年目という年に当たります。

1858年、日本と米国との間で日米修好通商条約が締結され、徳川幕府はその批准書交換のために新見正興を正使とする使節団を米国に派遣することとしました。総勢81名から成る万延元年遣米使節団は、米海 > 軍艦ポーハタン号で渡米することとなりましたが、この随伴艦に選ばれたのが「咸臨丸」でした。

派遣使節の海路警備及び航海練習を目的とし、木村喜毅以下96名の日本人と米海軍ジョン・ブルック大尉以下11名の米国人を載せた「咸臨丸」は、1860年3月17日にサンフランシスコの地に到着しました。12日遅れてサンフランシスコ入りした遣米使節団は、10日後にはパナマ経由で首都ワシントンへ 向かいましたが、「咸臨丸」乗組員は、2ヶ月弱ベイエリアに滞在し、咸臨丸の修理が終わるのを待って日本への帰途に就きました。

「咸臨丸」のサンフランシスコ来航はこのように短期間であり、その使命はあくまでも遣米使節団の随伴艦というものでしたが、その功績には極めて重要且つ意義深いものがあります。サンフランシスコにおいては、「咸臨丸」は初めて米国までやって来た日本の軍艦として、耳目を集め、新聞にも大きく報道されました。木村提督、勝海舟、福沢諭吉、中浜万次郎(ジョン万次郎)ら乗組員一行は、遣米使節団一行と共に初めて米国市民の前に姿を現し、交流した日本人となりました。この結果はこれら日本人にとり米国人や文化に初めて身近に接する貴重な機会になったのみならず、サンフランシスコ市長はじめ一行を温かく歓迎したサンフランシスコ市民にとっても間近に日本人を見、交流する最初の機会となったのです。

往路、暴風雨による損傷を受けた咸臨丸の船体修理はバレホの米海軍工廠で米政府の好意により無償で行われました。木村提督はこの好意に感謝し、サンフランシスコの消防士、船員の遺族団体にお金を寄付することにしたと言われています。これらのエピソードからも伺えるように、咸臨丸の来航は、正に日米政府及び市民による交流の原点となりました。

本年は、サンフランシスコ及びベイエリアにおいて咸臨丸来航150周年を記念・祝賀するさまざまな事業が展開されます。日本国総領事館としましても、150年に及ぶ日米交流の歴史を回顧し、先人達の偉業を讃えつつ、日米同盟関係が更に強固なものとなるよう将来に思いを致す機会にしたいと考え、地元の方々と協力しながら種々の交流行事を行って参ります。

在サンフランシスコ日本国総領事館の「咸臨丸サンフランシスコ来航150周年記念」ウェブサイト


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